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ピエール・ジャンヌレ(1896-1967)
1896年ジュネーブ生まれ。エコールデボザールに入学。その才能は建築家としてだけではなく、画家やデザイナーとしても認められる存在であったと言われている。1922年、ジャンヌレは従兄弟であるシャルル・エドワルド・ジャンヌレ(ル・コルビュジエ)と共に建築家としての人生をスタート。1927年からはパリのセーヴル通りにあるスタジオでシャルロット・ペリアンとの協働を開始して才能が開花。1929年、3人は現代芸術家連合/「Union Des Artistes Modemes」を設立し、ヴィラや別荘を含む多くの建物を設計することで、その名を不動のものにしていく。1950年には、インド共和国の初代首相ジャワハルラル・ネルーの招待で、パンジャブ州の首都になるべく都市開発されたチャンディーガル市の主要な建築プロジェクトマネージャーに就任。都市空間や病院などの建築物から家具までの総合デザインを行った事で、現在でも同地はル・コルビュジエとジャンヌレの最も重要な作品の集結地として、その存在を世界に知られている。15年間にも及ぶ同プロジェクトにおいて、ジャンヌレは常に自分のデザインや概念に疑問を投げかけ、時にはインド人建築家の視点を採用することもあった。彼自身とル・コルビュジエにとって、この15年間のエキサイティングな冒険は「ある意味、チャンディーガルは私たち二人にとって、ジャングルの開拓を進めるようなものだった」という印象的な言葉を残すものとなっている。 ジャンヌレには2つの大きな建築哲学がある。一つは使用する人を常に中心においた設計をする事、そしてもう一つは近代建築やインテリアの普遍的な価値としてデザインの力を主張する事である。1967年12月4日にジュネーブで死去。遺言により、ジャンヌレの遺灰はチャンディーガルのスクナ湖に散骨されている。